結婚を期に、みんな新たなファミリーを持つが、私が嫁いだオキナワンファミリーは国際色豊か
アメリカ人と国際結婚した義理母。そこから生まれたブルース・ウィルスのような我が旦那。
そして、カナダに移住した義理母の姉夫婦から始まったカナディアンファミリー。
沖縄では昔小さな島では仕事が無いということで、多くの人が遠く海を渡り、特にブラジル、ハワイ、カナダへ移り住んだという歴史がある。
3年程前に、日系ブラジル人夫婦がルーツを探りに1年間沖縄へ滞在した際、釣りを通してイチャリバチョーデー(出会えば兄弟)になってしまった。
その時に驚いたのが、今のウチナーンチュ(沖縄の人)よりも昔ながらの沖縄の方言・発音をしていること。そして、今でもブラジルではウチナーンチュ同士が助け合っていること。
ちなみに、よく県人会という言葉を耳にするが、ブラジルのサンパウロでは、県や市では多すぎるようで、その下の例えば那覇市小禄だったら、小禄会というのがあるほど、ウチナーンチュの数が多いそう。
話しはそれてしまったけど、うちのカナディアンファミリー2世のジョージは、日本人で初めてカナダの某大学学長になったということで新聞に掲載された
ここに写っている人達が、会ったこともない人がほとんどだが、私のカナディアンファミリー。
ジョージは半年間ほど、沖縄の某大学で教鞭をとっていたこともあり、1年に一度位の割合で仕事で来沖する。先日もまた、はるばるカナダからやってきたので、オキナワンファミリー集合して、里帰りを祝うため、田舎というお寿司屋&沖縄生まれのアイス、ブルーシールへ
ジョージは、日本人の両親から沖縄で生まれ、17歳にカナダへ移住し、カナダのインディアンをルーツに持つ奥さんと結婚し、3人の息子をもうけた。
カナダでは、琉球空手も教えていて、向こうにいながらも沖縄の心を忘れずにいてくれている。
そして奥さんのマリリンは大の日本好きで、家に畳間を作り、そこで半纏を羽織り、緑茶をたしなむほどらしい
そんな両親から生まれた3人の息子達も、大の日本好きというか好き。
ジョージは息子たちに、自分のルーツを知ってもらいたいと、大学時代のひと夏休みを一人ずつ沖縄へ送り込む。
その時は我が家へ滞在する。初めは、どんな若い子が来るのか…若干心配ではあったが、来てみたら、みんなイケメンだし、礼儀正しい子達で、一安心した。
しかし、その時一番困るのが…テレビ。
まず日本語である民放は見れず、ケーブルテレビを見ることになるが、字幕版番組は問題ないが、たまに主音声が日本語、副音声が英語になっている番組の場合、どの音声をとるのかが問題。そこで、主音声と副音声が一緒に聞こえる主・副音声にしたものの、日本語と英語を一緒に判断する旦那が、両方の言葉が聞こえ頭が痛くなるということで、副音声に…良い機会だから英語を勉強しろと言われるが…画面から流れる雑音に耳を傾けるしかない。
頭がもっと固くならないうちに、英語を話せるようにならないとなぁ。